梅雨は苔むす

つゆのはっかの個人ブログ。育児とか教育とかしょうもない話とか。

「みんな一緒みんな嬉しい」の【みんな】

仕事中テレビをつけっぱなしにしていたら「アレルギーを持っている子にも美味しい食事を」という感じの番組がやっていました。

 

ざっくり説明すると、ご自身のお子様に食物アレルギーをもった子が生まれ、アナフィラキシーショックを起こし入院するなどの経験を経てアレルギーの子にも楽しく美味しい食事を提供したいと考えそうした会社を立ち上げた…というお話でした。

先に誤解のないように言いたいのですが、アレルギーは即治るものではなく、ショック状態になると命に関わるものなので無理に食べさせるものではありません。昨今代用食や除去食は増えたものの、まだまだ「こんな料理があったら…」という親御さんやお子さんの気持ちはあるでしょうし、そうした事を仕事として提供してくださる姿勢や取り組みには頭が下がりますしできる限りの応援はしたいと考えています。本当に素直に素晴らしいと思います。

 

そんな話の中で、どうしても一点私がもやもやとした事がありました。それが「みんな一緒みんな嬉しい」という番組の中で出てきた言葉です。

そのご家庭は、3人兄弟の末っ子のお子さんが食物アレルギーを持っていて、末っ子さんが食べられるハンバーグをみんなで食べているそうです。

それ自体は、私は家族が納得しているなら何も問題ないと思います。例えば兄弟や親子で、一口頂戴とかあげるなんてやり取りは可愛いですし微笑ましい。何よりそうした経験が悪い事ではないのは明らかです。

みんな一緒だから、みんなで楽しい嬉しい食卓が囲める。それは間違いではありません。でも、この家庭ではそうでもひとたび外に出てそうかというともやっとしてしまうのです。

 

まずそもそも…テレビ番組というものの捉え方の問題があります。「この家庭だけの話を放送している」のか「この家庭が成功例であり模範となるといいと思って放送している」のか…。前者であれば、ここでもやもやを私が感じる事は余計なお世話です。だってとある家庭の話をしてるだけですから。誰かに迷惑をかけていないなら家庭に他人が口を出すものではないと私は思っています。

ただ、テレビで全国放送していて「この家庭だけの話」というのはちょっと難しいかなと感じます。番組で取り上げられた方がそう思っていなくても、少なくともこれで番組にしようと思ったディレクターさんは何かしら「伝えたい」と思ったから番組にしたのでしょうし。

 

さて、話を戻します。

はっきりと言うと私は「食物アレルギーのある子に合わせて他の子どもたち(兄弟)の食事をその子に合わせる事」が「みんな一緒みんな嬉しい」なのかと言われるとそれは違うのでは?と思っています。

勿論食物アレルギーのある子の食事を、アレルギーのない子に合わせる事は食材によっては難しいです。先に述べたように食物アレルギーは努力や気合いで即治るようなものではありません。時間の経過と共に軽くなる人もいますが、大人になっても体質として食べられない、というのが食物アレルギーです。

ですが、食物アレルギーのない子どもに除去食を食べさせるというのは、食べれるしもしかしたら好きなものも「一緒に食べられないなら食べてはいけないもの」になってしまいます。

これは各ご家庭の考え方なので、あくまで家族全員の時だけ、パーティーの時だけ…後は別々に作る時もある、という方もいると思います。またこれはみんなで食べられる、これはわけるね、と決めている方もいるでしょう。そこは本当にご家庭でお決めになられる事と思います。

 

でも、テレビで「みんな一緒みんな嬉しい」と放送するのは、そうでなければ嬉しくないという呪縛も生んでしまう可能性があります。少なくとも私は若干引っかかりを覚えました。

これは多分、番組の構成の問題なのだと思います。取り上げられていた方が悪いわけではなく。その方はアレルギーを持つお子さんとその家族に精一杯手を差し伸べているのだと感じました。

本当に所々…小学校になると代用食がなく持っていかなければいけないという内容もありましたが、確かに今現在はそれを準備する親御さんが困っている所に、代用食の提供をする…それは本当に困っている親御さんは助かると思います。ただ、これを放送するならば訴えなければいけない先は市区町村や国ではないかな?と感じます。

この辺り…ただ素晴らしい!で終われない私の性格が良くないとも思います(いえ、本当に素晴らしい取り組みとは思ったんです)。でもそもそも、義務教育で登校している児童の給食の代用食について、親が用意するという事にまず疑問を持つ必要が根本的な話では?とも思ってしまったんです。

 

少し前、ネットで小学校の給食にヴィーガン食を取り入れる話が炎上しました。あれもヴィーガン食の否定というよりは、ヴィーガン食であればみんなが食べられると言った食物アレルギーへの軽視や誤解があった事や、あれは主義であって無農薬などとは違うといった事が炎上した理由だったかと思います。

勿論子どもによっては、みんなと同じものが食べられない事に寂しさを感じたり、みんなと同じがいいと感じる事はあると思います。その気持ちを汲んで「今日はみんな同じもの」の日があっても、それがおかしいとは思っていないんです。

あくまでそうする事で満たされる「今日は同じものが食べられたね」というその幸せは、誰かが誰かに【合わせる事】で出来上がっているのです。それを【合わせたくない】と思うのも、本当は子どもの自由意識なんだと思います。

 

ちなみに食物アレルギーの子に対して「私はあわせたくない。あなたが合わせて」は勿論いけません。食物アレルギーの食材を食べさせる事は場合によっては相手を死に追いやる危険な行為です。ですからそれは、絶対に、やってはいけません。

では、食物アレルギーのある子…もしくはその親が、アレルギーのない子に対して「あなたも除去食を食べなさい」と合わせさせるのはいいんでしょうか。確かにそこに命の危険はないでしょう。食べ物として嫌いでないのなら問題らしき問題はないのかもしれません。

でも【合わせる】という行為を、相手に強要するのであれば、それが子どもにとっていい事とは、やはり言えないでしょう。

【合わせる】というのは、相手の優しさで成り立っている所が大きいです。好き嫌いでも、今日はあなたの好きなものに合わせるから今度は私の好きなものにしてね、なんて大人の世界でもよくある話です。子どもの世界では、年齢によってその折り合いや相手の想いを考える…という事を学んでいる最中だったりすると思います。

 

「みんな一緒」という状態を作るためには「誰かが誰かに合わせる」という行為を必要とします。そこに「みんな嬉しい」をつけてしまうと、一つ間違えると搾取される人する人という構図が、悲しいですが出来てしまう恐れがあります。

 

私も人の親になりました。子どもが2人いるので、子ども同士がいがみ合わず助け合って過ごしてくれたらいいなとは思います。

でも、もしこの先子どものどちらかが介助を必要とするようになった時、もう片方の子どもに「兄弟だから助け合わなければいけない」と教えてしまったら、それは子どもたちを一人一人の別の人間だと親が認識してないと言ってしまうのと同意義になってしまうと考えています。

助け合うか合わないかは本人たちの考え次第です。「助け合ってくれたらいいな」と親が思う事と、実際子どもたちがどうするかは別の話です。そこに親が「しなければいけない」と強制的な声かけをするのは、兄弟間や親子間どころか、その子の人生を壊してしまう可能性もあります。

 

「みんな」と括ることでやんわりと真綿で首を絞めてしまう…最近そうした事例が増えた気がしています。そのみんなって誰なんでしょう。勿論食べられるものができて美味しく食べる子どもを見ているのは親としてとても嬉しいです。大人は…親は自分の子どもに合わせる事もできる人が多い気がします。

でも子ども兄弟に必ずしも「みんな一緒だからみんな嬉しいでしょ」と言ってしまうのはちょっと待っていただきたい。

もしかしたら「僕は卵と牛乳の入ったハンバーグが食べたい。僕は食べられるよね?」と言われた時…それは何一つ悪い事ではなく、それこそそれを言った子どももあなたの子であるならば、その子の好きだと言った物も食べさせてあげてほしい。合わせない事は相手を悲しませる事…悪い事だとは思わせないであげてほしい。

合わせてあげる優しさは本当に素敵です。でも子どもに合わせる事「ばかり」伝えるのだとしたらそれは待ってほしい。

「みんな一緒の時もある みんな違う時もある でもみんな幸せ」でもいいのではないだろうか。

 

重ねて書きますが、食物アレルギーの子どもたちや方たちのために、その家族のためにさまざまな美味しい代用食を考えて作って下さっている会社の方には本当に頭が下がります。本当に素晴らしいと思う。それは切り分けて下さい。

また、仕事の合間に見たのでもしかしたら番組の中で私が確認した事とは違う内容もあったかもしれません。その場合は申し訳ない。

 

新年も色んな人が色んな美味しい食べ物と出会えますように。