梅雨は苔むす

つゆのはっかの個人ブログ。育児とか教育とかしょうもない話とか。

身近な「私のモノ」

生きている時間が長ければ長いほど「自分のモノ」と言える物は増える傾向があります。勿論途中で手放したりする事はあるので「今、手元にある物」としては多くなったり少なくなったりするかもしれないけれど、一度でも「自分の物」と呼べる物に一瞬でもなったとカウントしていくと基本は多くなる…はず。多分。多数派はそうだと思う。

そんな「自分のモノ」の中でも、相当初期、初期中の初期に自分のモノになったものがある。それは【名前】

名前は自分で選べず、親だったり祖父母だったり、はたまた他の誰かに一方的にプレゼントされるモノで、気づいた時にはその名前を自分の事として認識する事がほぼほぼ多い。

とはいえ、思春期の頃には「自分の名前嫌い」と思った人も少なからずいると思う。少なくとも私はそうでした。中世的な名前に憧れて、女っぽい名前が嫌で嫌で仕方なかった事がありました。割と長く拗らせてたかなぁ…むしろ自分の名前を好きというかとりあえず納得できる様になったのはむしろ割と最近かもしれない。

そんな私でも、名前に愛着は持っていた様で子どもの頃には面倒な拗らせ方をした事もありました。早数十年前…パンダブーム絶世期の頃、新しいパンダが来るとテレビで放送しまくりの時代(…今もか)。とあるパンダの名前が発表され、テレビでは可愛いとか良い名前なんてもてはやされていました。そしてたまたま、そのパンダの名前は私(当時3歳)のあだ名と同じだったのです。

私は喜ぶ所か爆泣きwwww 名前(いってもあだ名)取られた!私のなのに!!とガチ泣きしました。今でもうっすら自分で覚えてるくらいに衝撃的な出来事でした。子どもの私には、あだ名はかぶる事もあるとか、名前はかぶる事もあるとか、そういうのがまだわかっていなかったんですよね。

流石に5歳くらいにはもうその辺りも認識して、別にどうこう言う話ではないと理解しました…が、実はこんな事もあって私はパンダが未だに好きではなかったりしますw(勿論好きな人の否定をする気は無いです)

先に述べたように、思春期の頃は嫌いになったりもしたので、1番近くにあり続けるからこその愛憎劇な気もします。人によっては、親に付けられた名前の名前自体や、意味合いなどどうしても折り合いつかず変えたいという方もいるだろうし、実際変えたという話もたまにニュースになります。大事だからこそ、親からの贈り物とはいえ受け入れられないという事もあるだろうなというのは想像に難しく無いなと。数年前にはキラキラネームだのシワシワネームだのというのが話題にもなりましたしね(よくよく考えると人の名前捕まえてキラキラだのシワシワだのだいぶ大きなお世話感)

ただ、私自身自分の名前を好きになれたのは割と最近です。成人した時ですら苦手意識がありました。子どもを産んで名前をつける時、その自分の経験はだいぶ頭を悩ませましたね。息子が生まれた時はまだ…でも娘が生まれた時は本当に悩んで、出産日数日前に決めていた息子に対して、出産日にようやく1番候補ができたレベルでした。親2人で文字通り頭を抱えて決めた名前…子どもたちがその名前をどう感じてくれるかは、これから先の話です(ドキドキハラハラ)

皆さん、自分の名前好きですか?