梅雨は苔むす

つゆのはっかの個人ブログ。育児とか教育とかしょうもない話とか。

皆勤賞という悪夢の始まり

皆勤賞…それは学校や園を年単位で休まずに登校登園すると貰える、昔ながらの賞。

ぶっちゃけ悪の根源じゃない?

いや、さすがに言い過ぎました。根源までは行かないかもしれません。悪ってほど悪でもないかも。でも私は、この皆勤賞が素晴らしい賞である事よりもその後の「後遺症」の方が心配になる。

私自身、小学校6年間皆勤賞でした。インフルエンザや指定の病気以外は休まず登校し、毎年皆勤賞を貰い、最後の6年目には6年間集大成と言わんばかりでした。勿論子どもの頃、そりゃ嬉しかったです。勉強ができる子どもではないしかといって足が速いわけでもなく、賞を貰えるような芸術センスもない。何者にもなれない「平凡」な私が、根性だけで手に入れられる数少ない賞でしたから。とにかく何か「賞」が欲しい。「平凡」じゃなくて「凄いね!」って言われたい。そんな子どもの心には、根性で何とかなる皆勤賞は自分でも手の届く輝かしい「賞」でした。

でも、中学生になって私は皆勤を捨てました。思春期独特というか…よくわからないけれど、何かに疲れてしまったんです。

毎日が楽しいのにふと襲う虚無。変に達観した様な気持ちになって、全てが馬鹿馬鹿しいなと思ったり。英語は苦手なのに洋楽にかぶれ、字幕の映画を漁り見たり。かといって学校で洋楽好きな子達を見ると、私はそんなんじゃないと謎のプライドが首をもたげる。

今思うと見事な厨二病状態…!!!!

そんな謎の状態は、無駄に心を疲れさせます。いわゆる「心が風邪をひいた」状態です。ここでサクッと休んでしまえばいいんですが、私にはそれがとにかく難しかった。なにせ、その頃の私が人に誇れる事といえば「とりあえず健康が取り柄で学校を休んだ事がない」事だけでしたから。

これ、他の人が見て「そんな事ないよ!貴方にはこんなに素敵な所が!」とか言われても、申し訳ないけどそんな事どうでもいいんです。自分が、自分の誇れる物はコレだけだ、と思ってるんです。人の意見は聞いてないんです。というか、人の意見が聞けるくらいなら多分もう少しサクッと休めたと思います。

そんな自分でしたから、とにかく休む事が「悪い事」でした。自分を本当に何もない「平凡」にしてしまう。「取り柄のない何か」にしてしまう。誰も褒めてくれない。休む事は悪い事のはずだ…。別に誰に責められたわけでもないのに、そう思っていました。

ちなみに、私の親は度を超えない限りそうした事には理解のある人でした。むしろ「無理するくらいなら1日2日休むくらい大丈夫よ」というタイプだったので、意地でも休もうとしない私がむしろ不思議だった様です(親子で性格の差が激しい)。

そしてある日、私は休みました。朝、布団から出ずにいると母が「具合悪い?」と聞いてきます。そこまでじゃないけど、行きたくない。その一言を口にするのが何故か辛くて悔しくて、布団の中で母に見えない様に泣いたのを覚えています。今思うと自分でもそこまで?!と思うけど、それくらい緊張する出来事でした。母は「じゃあ休みますって連絡するよ?」と確認し、私は母にそれを頼みました。その後は昼までゴロゴログダグダし、お腹が空いてリビングに行くまで母は特に何も言ってきませんでした。

それからは、逆に定期的に休む様になりました。感のいい先生なら多分気づいたと思いますね。それくらい定期的に…というか月に一回。休まなかったら翌月に2日休みました。そして大人になってから知ったんですが、このいわゆる「ずる休み」の時、親はなんて連絡してたのかと思ったら「心が風邪をひいたみたいなので休ませます」と言っていたそうです。隠す気の無い親!!

 

皆勤賞を達成するために、体調が悪いのに登校してくる人もいます。遅刻や早退はするけれどとりあえず登校する。もはや皆勤賞は「健康だった」賞などではなく、ただ根性論だけの「具合が悪くても休みたくてもとにかく学校へ行く」という思考停止した行為になっている人が、少なからずいます。

っていうか丸一年間一切病気もしないし疲労も感じないなんてむしろあり得なくない?その方がホラーだよ?!

風邪だって、このコロナ禍で痛いほど感じますけどうつりたくてうつってないんですよ。熱なんてでないでくれよしんどいんだからって思ってるのにどこかでうつされるんですよ。健康に注意してても部活で遅くなったり、勉強してたら夜遅くなる事も普通の話です。もっというと遊んでたり電話してたら夜中なんて、青春真っ只中でむしろいいじゃないですか(違う、そうじゃない)。

疲れも、学生や若い子が「疲れた」というと「まだ若いのに。仕事してるわけでもあるまいし」という大人が必ずいますけど、学生だって疲れますよ。色んな人と話して会ってれば多少なりとも疲れるもんです。

 

疲れた時や体調がすぐれない時、どうすればいいか。その教育や訓練を、この国はあまりしません。「健康であれ」と賞はくれますが、そもそも大多数の人が疲れたり体調を崩すのに、それについての対処法を教えてはくれません。それどころか、大人になっても休む事は悪とでもいう様な扱いをうけたり、正当な権利であるはずの有休すら取る事に後ろめたさをまだまだ感じさせる会社が多くあります。

具合が悪くなったら、疲れが取れなかったら…1日休めば回復するうちにちゃんと休むという事、「いい休み方」ができる方が、本当はいい事なんじゃないのかなぁ。

皆勤賞という「特別」は、自分の体や心を犠牲にするところが、少なからずあるなと今は思う。学校に行くのが辛いなと思いながら行った日もあった。電車の中で寝ながら学校に行った事も帰った事もあった(登校片道電車で1時間だった)。中学生になって「休む」事が後ろめたく罪悪感を持つものになっていた。でもそれだって、そんなに罪悪感とか感じる必要はやっぱり無かったと思う。

本当の本当に、健康に注意して皆勤を成し遂げた人もいると思う。でも子どもだって、本当は学校に行きたくても何かしらの理由で(自分だけでなく他人由来だって)行けなかった子もいると思う。その子がもし、休んだ事を後ろめたく思ってしまうなら、皆勤賞は無い方がいい気もする。

健康にただひたすら気をつけて「休まない事」を褒めるべきなのか、自分の心と体に向き合って寄り添うために「休む事」を褒めるべきなのか。…というよりも、褒めなくてもいいんだけれど、後者に対して「罪悪感」を感じるならやっぱり皆勤賞は無い方がいいと思ってる。小さい頃の思い出というには、大人になってもこの「罪悪感」は尾を引く。「休み方」のわからない大人ができあがっていく。その原因の一つが、私は子どもの頃の「皆勤賞」だと思っている。

あの頃、皆勤賞だと内申表が良くなるとか受験や会社へのいいアピールになるみたいな話もあったけど、もしそれを素晴らしいととる会社があるならあいにくと私はブラックかなと疑うし、学校の理念ともうまくいく自信はない。

休みは時には必要で、本当の「ずる休み」なんてそうそうあるものじゃ実は無いと思う。

 

熱が出なきゃ休めない世の中なんて、poison。

 

(by イワャカン174)